昭和48年入舎の上島秀友OBが『本能寺の変 神君伊賀越えの真相 ―家康は大和を越えた』を奈良新聞社から出版されました。
(2021年5月29日追記 本著作が産経新聞に取り上げられました。
WEB版でも読めます。(全文は有料)→ こちら )
本能寺の変が起きたとき、徳川家康は堺にいました。これまでの通説では、家康は京都に向かう途中で信長の死を知り、急遽、宇治田原から信楽、そして服部半蔵が呼び寄せた伊賀者の案内で伊賀から鹿伏兎越を行い、伊勢の白子から船で三河に帰ったとされてきました。
これに対して、上島OBは石見銀山奉行になった竹村道清宛の家康の書状や『当代記』(その部分の頁を下に掲げています。図・写真はクリックすると大きくなります。)の記述などから、家康は大和を越えたという説をこの本で述べられています。
この歴史を覆そうという上島OBの試みに対し、養徳学舎OBとしては同書を購入し、応援しようではありませんか。本は奈良の啓林堂書店(下に販売風景を掲げています)などで販売されていますが、インターネット通販(アマゾン・楽天ブックス等)でも購入出来ます。通説が京都ルートとすれば、大和越えは奈良ルートです。できれば、お知り合いの方にも同書と奈良ルートをアピールしてください。
なお、上島OBは「養徳学舎100年史制作・編集委員会」の委員長として『養徳学舎100年史』の制作に携われました。令和2年度総会で同書の配布と上島OBの御著書を紹介する予定でしたが、「令和2年度総会中止及び100年史配布について」で御案内したとおり中止のやむなきに至りましたので、このお知らせによりOBの皆様に御案内します。『養徳学舎100年史』の配布方法については、「令和2年度総会中止及び100年史配布について」をご覧ください。
奈良の啓林堂書店にて